【キタアカシジミ登場】蝶研フィールド61号から2010.8.27ついついペコ

2010/08/26 9:10 に ついついペコ が投稿   [ 2010/08/26 9:12 に更新しました ]
【キタアカシジミ登場】蝶研フィールド61号から2010.8.27ついついペコ

 いつの時点から、どのようにして、キタアカシジミが登場したのでしょうか。蝶研フィールド61号による、八王子市の猪又敏男さんらの手記の抜粋です。

 猪又さん編による、1985年発行の「大図録・日本の蝶」(竹書房)では、「キタアカシジミ」という名称こそ登場しなかったもの、北海道産のアカシジミは、本州のアカシジミとは少し変わっていると認めた記述があります。すでに1985年以前に、猪又さんも変異に気付いておられたようです。

 分類の記述では「北海道産には、onoi Murayama,1953なる、適格名があるが、現在はluteaHewitson,1865〕)のsynonymとされている。しかし、・・・onoi Murayamaの処置に付いては、再検討が望まれる」と記しています。そのことについて手記の中で「この時点では、私に知識の中に北海道にも、本州産と変わらぬ本物のアカシジミが存在するという事実が抜け落ちていたので、もとより内容は現状認識のために還元できる代物ではない」と率直に認めています。

 2年後の「1987年6月に発行された北海道昆虫同好会の連絡誌に両者の区別点などが記述され、少なくとも道内を中心とした同会会員のあいだには、あまねくおかしなアカシジミの存在が知られることになった」と述べています。

 続いて「さらにこの記事は『蝶研サロン』誌(蝶研出版発行)に再録され・・・蝶研出版発行の『スーパー採卵術』に、「日本産25番目のゼフィルス」として・・・掲載された」と、あります。

 北海道の本間定利さん、伊東拓也さんの気付きが、北海道の昆虫愛好家の会誌に、そして全国への情報として発信されていくことになりました。そして1989年には「ふたつのアカシジミについての話しはある程度常識となっていたはず」と猪又さんは述べておられるように、山県市の横倉明さん、武田隆さんは「1989年10月、岩手県岩手郡滝沢村加賀内にてキタアカシジミJaponica onoiの採卵に成功し、飼育の機会を得ることができ」ました。また二人は「1989年と1990年には、北海道の同好者の方々の協力を得て、北海道産のキタアカシジミについても、飼育することができた」と報告しています。

 そんな折、猪又さんは北隆館(東京都)の「検索図鑑」を書くこととなり、このふたつのアカシジミに「頭を痛めることになった」ようです。理由は「学名のない種を掲載する意図はまったくない」ことと、『無視すると本間定利さんらの好意に背いてしまう』と言うことです。そこで猪又さんは「とりあえず、カシワ食いのアカシジミをキタアカシジミの新和名とともに、onoi Murayamaの学名を付して表舞台に登場させることにし」ました。それは1990年3月「原色蝶類検索図鑑」として出版されました。

 その後「名称に直接影響するholotypeは・・・最終的にキタアカシジミに間違いないものと結論づけることができた」と述べています。

 そのようにして25種類目のゼフィルス、キタアカシジミの解き明かしが展開され、カシワを食していたアカシジミが、キタアカシジミと言う和名で、世に知らされていった訳です。

 北海道、東北地方の研究者の皆さんは、卵を採取し、飼育し、生息環境を調べ、生体を顕微鏡や電子顕微鏡で調べ、写真撮影して比較検討し、細かい飼育日誌を付け、同好会、サロンの席で討議し・・・・初めて違いを認めることができました。その努力と探究心に、ただただ頭が下がります。 

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