【〜チョウと蛾に遊んでもらった50年〜 その1:カトカラおんつぁん】2011.2.5

2011/02/05 5:01 に ついついペコ が投稿   [ 2011/03/06 18:42 に更新しました ]
 まずは自己紹介をさせてください。私は東北に住む還暦過ぎの老年虫屋です。このカトカラおんつぁんという名前の説明をしないといけませんね。カトカラと言うのは、蛾の仲間にシタバガというグループが居ます。その学名がカトカラなのです。写真は、エゾベニシタバという蛾です。

 おんつぁんは、仙台弁で言う、おじさんという方言です。だから、蛾の好きな年寄りと言う意味になりますね。
 
 と言っても、私が子どもの頃は、蛾なんて見向きもせずに、夢中になってチョウチョウだけを追いかける昆虫少年でした。50年以上も前のことになりますが、私が小学生高学年の頃に、町の大学生だったTさんと言う人に、昆虫採集を教えてもらいました。私ともう一人親友のA君とで、その方の家に遊びに行って、泊まることもありました。
 
Tさんは、子どもだった私らに本格的な昆虫採集の方法を手ほどきしてくれたのです。昆虫採集もちゃんとやろうとすると、針なども錆びないステンレス製のものを揃えないといけないのですが、東京から取り寄せた志賀昆虫の針を私らにも分けてくれたのです。展翅板や箱も、大工さんに頼んで作ってもらったものでした。最初のネットは、母に頼んで洋服の裏地のゴースというので縫ってもらったので採集してました。スプリング式のを買ってもらった時は、それは嬉しかったものです。
 
 当時は、車などがないので、歩いて町内や町外れの里山で採集していました。それでも、ヒメギフチョウを4月の初めに採りに行ったり、隣町の温泉にバスで行けば、ウスバシロチョウやツマジロウラジャノメに出会うことができました。今では、どちらも姿を見ることは出来なくなっていますが。
 
 中学校では生物部に所属してました。そこでは、チョウなどの調査をまとめて理科作品研究発表郡大会なんかにも出されたりしてました。それよりも何よりもすっかりチョウの採集に呑めり込んでいたのです。まわりからはチョウキチと言われてました。それだけ熱中していたので、どんどんチョウの種類も増えていきました。初めて採ったチョウの種類数が増えることがうれしくてたまらない熱中時代でした。
 
 そんな中学生の時のA君との思い出は、ミヤマカラスアゲハです。まだ、チョウには二人ともそんなに詳しくなかったのですが、図鑑で見るミヤマカラスアゲハの美しさは、他のチョウと比べても群を抜いていたのです。二人とも、ミヤマカラスアゲハなんて、宮城蔵王の山奥にしか居ないと思い込んでいました。
 
 そんな時、自転車で1時間以上もかけて2つ隣の町に出かけることにしたのです。その町は、蔵王とは方角が違い、福島県との境にあり、まわりは山だらけと言う環境でした。
 
 ちょうど、5月のゴールデンウィークだったと思います。その町に公園があり、そこの小高い丘のてっぺんまで登れるので、二人でおしゃべりしながら登って行きました。すると、数頭の黒いアゲハが飛んでいたので、ふたりでネットを振り回し、いくつか採集できたので、下りることにしました。
 その途中にA君が採集したのを見せてくれたのです。三角紙に収まったのをぱっと見ただけで、下のはねの裏面に太い帯が走っているのが分かりました。私は、これはミヤマカラスアゲハに違いない。でも、蔵王じゃなくって、こんな低い山にも居るのかとびっくりしてました。
 
 表の紋様もカラスアゲハとはまるで違っていたのですが、私は、これはミヤマカラスアゲハに間違いない。すごいなと誉めてもA君はこれまで普通のカラスアゲハしか採ったことがないので、半信半疑のようでした。
 それなら、私が展翅をしてあげると言って預かることにして帰宅したのですが、図鑑で確認するまでもなく、正真正銘のミヤマカラスアゲハだったのです。
 
 その後は、山奥でなくてもミヤマカラスアゲハはあちこちに居ることが分かり、たくさんの幼虫なども飼育したのですが、この時に見た、初めての、そして意外な場所で採集できたミヤマカラスアゲハの青緑色の輝きとクリーム色の太い白帯は目に焼き付いて忘れられません。
 
 今でもその標本は残っていますと言いたい所ですが、宮城県沖大地震の時に箱のガラスが壊れて、標本類も破損したのですが、そうした被害に1頭になり、町内のヒメギフとともに残っていないのが残念でなりません。     その1 終 

高校時代のことは、その2にまた書くことにしたいと思います。

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