【「チョウと蛾に遊んでもらった50年」その2  〜クスサンからテングスつくりの巻〜 カトカラおんつぁん】2011.3.6

2011/03/06 18:24 に ついついペコ が投稿   [ 2011/03/07 11:02 に更新しました ]
 小学生の頃の話を続けます。今から50年ちょっと前の話です。 

私の住んでいた町の真ん中には白石川と言う川が流れていました。今では一目千本桜と言うことで観光に力を入れていますが,子どもの頃は両岸に太い桜の木が何百メートルも続いていました。 

 毎日の通学の途中に橋の上から眺めていると、鮎やオイカワなどの魚がたくさん泳いでいて、いつまで眺めていても飽きませんでした。瀬や淵もあって、魚にも住み易い状態だったのだと思います。今では,沼のように淀んだ流れになり、鮎は居なくなり,鯉くらいしか居ないようです。 

 たくさんの魚が泳いでいたのを毎日のように見ていましたから、子どもだった私らも釣りがしたくてたまりませんでした。と言っても、釣具屋さんで竿を買うお金は親にねだることも出来ません。まだ,戦後が終わったとは言え,どこの家でも毎日の食事を確保するのが精一杯で、子どもの遊びに回せるお金の余裕がない時代でした。 

 山に行けば、竿の代用となる竹類は沢山生えていましたので、竿は何とかなります。釣り針は安いので、町中のお店で買うことができました。問題は、針と竿の間の釣り糸です。今のようなナイロン製のテグスは、あんまり流通していなくて、有ったとしても高くて買えません。しかし、買わなくてもテグス(私らはテングスと言ってましたが)をつくるやり方を近所のガキ大将だった中学生のお兄ちゃんたちが知っていました。 

 初夏の頃のある日,私らが何人かで集まった時に、どうしても釣りがしたかったので、お兄ちゃんたちがやっていたのを見よう見真似で自分たちもテングスをつくろうと言うことになったのです。 

 話がまとまると、弁当箱に酢を入れて出発しました。小学校と中学校の校庭の間の道路に向かいました。その道の両側には大きなプラタナスの樹が植えられていたのです。着いてみたら、見るのも触るのもイヤになるような不気味な大きな幼虫が何匹も道路を這っていました。その当時は、その幼虫が蛾の幼虫だとしか分かっていなくて、後になってからクスサンと言う蛾の幼虫だと知りました。その時は,名前など知らなくても,頭の中は釣り糸をとりたいという考えしか有りませんでした。 


 さっそく友達が幼虫を足で踏んづけました。つぶれた幼虫の腹から白っぽい麺のようなものがはみ出してきます。それを摘んで、台所から持ってきた酢を入れた弁当箱に入れます。少し経ってから、両端を持って、力を加減しながら少しずつ引っ張っていくと、ぐんぐん伸びて細くなります。出来る限り,切らさないようにしながら引っ張りました。 

 最初は,短かったのが、うまくいくと2メートル近くまでになります。あとは、固まるまで待って、テングスの完成です。2本の長いのを結べば、さらに長い釣り糸も出来ました。このテングスだと、水の中に入れると透明になって、魚も見え難いのかよく釣れました。木綿糸などでは,魚の目がいいので、すぐに見破られてしまうようでした。 

 プラタナスの葉っぱにもたくさんの幼虫が付いていたのですが,道路を這っている幼虫でないと、いいテングスは取れないってお兄ちゃんたちが言ってました。若い幼虫はどうもうまく糸が伸びてくれないことを経験から分かっていたようです。 

 今は、その道路や堀もなくなり、プラタナスも一本残らず切られてしまいました。わずかに、かつて道があったことを示すように松が数本境目に有るだけです。釣り具屋さんに行けば、釣り糸も竿も高級なのが簡単に手に出来るようになりました。テグスから自分たちでつくったなどと言う話を聞いたら、今の子どもはなんて言うでしょう。 

 お金で何でも買えるいい時代になったと思うべきなのか、自前ではテングスひとつつくれなくなったことを哀しむべきなのか、想いは複雑です。
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