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糞尿雑記:青木弘貴】2011.6.23
・【少年の心:青木弘貴2011.1.11

【続・糞尿雑記:青木弘貴】2011.6.23

2011/06/23 1:28 に ついついペコ が投稿

※ 糞尿雑記の続き

私はそれの一般家庭向けの小型処理器を、政府干渉の下に統一規格で開発してもらいたいのです。そしてその処理器を希望する全世帯に無償貸与してもらいたいのです。 

そうすれば、家庭での電気料金、水道料金、生ごみ処理代、肥料代の負担の軽減が図れます。…そんなことをすれば、国家予算が不足するって?!そう考える人もいるでしょうが、本当にそうでしょうか。 

太陽光発電パネルを全国の家々の屋根に置けば、少なくとも一ヶ所に設置するための土地代はかかりません。涌水や雨水を各家庭で飲料水にすることができれば、地方自治体の貯水池や浄水場の負担が軽減され、渇水期の断水等にも対処できます。糞尿も又しかりです。電力会社への国庫負担や、地方行政の水道事業や終末処理場に占める負担割合からしても、私には、この考えが必ずしも間違っているとは思えないのです。 

考えてみれば、昭和49年頃にカシオの電卓が新発売されましたが、この時の電卓は単3電池を6本も入れて使っていました。入力は6桁までの表示で裏画面があり、算出表示数は12桁でした。販売価格も1万円前後はしたと思います。 

それが今では、乾電池不要の12桁の電卓が1,000円も出せばお釣りが返るくらいの価格で買えます。40年ばかりの歳月で時代は大きく変わりました。 

これ程の力が日本企業にはあるのですから、世帯向けの安価な私の考える3種の小型処理器くらい、創るつもりがあれば直ぐに出来る筈です。様は今まで国政の推進者が、そうした視点で物事を捉えたことがないだけのことです。規制緩和や自由競争が、企業の共同開発を消失させたのです。 

個々の企業が独自の開発をして、勝ち残った企業だけが儲かるのではなく、全ての企業が共同し、国の民が益を得られる製品を創り出す政策に転換する必要があるのです。 

そうすればおのずと全ての企業が潤う筈です。 

これからは使い捨ての時代と離別し、使い回しを考える時代にしなければなりません。 

私たちの公共料金や税金は、今まではずっと使い捨てられてきたような気がします。 

今後は有効な資源の使い回し、ということに是非とも視点を変えて欲しいのです。 

地殻変動や異常気象等でどんなに人々が裏切られたとしても、地球も人間も、喧嘩しながらでは双方ともに生きられはしません。地下資源を地球から掘り出して燃やすことの過ちを人間は早く気付かなければなりません。 

私の糞尿や家庭の生ごみを有機肥料に変えることができる家庭用小型変換処理器を、1日も早く国が無償で貸与してくれる日を私はずっと待っています。

【糞尿雑記:青木弘貴】2011.6.23

2011/06/23 1:22 に ついついペコ が投稿   [ 2011/06/23 1:35 に更新しました ]

私が幼かった頃は畑のそこいらに「肥溜め」がありました。 

この「肥溜め」に落ちることを「ドツボに嵌る」と言ったのですが…。(最近は八方ふさがりのような意味でも使われているようです。) 

田舎で育った私の年代(50歳代後半)以上の皆さんなら、ほぼ全員がこの「ドツボに嵌る」を体験しているのではないでしょうか。 

私は幸いなことにその洗礼を、全身に受けたことはなく片足首までで済みましたが、それでもとても汚くて臭い体験でした。 

何故そこいらの畑にそんなものがあったのかというと、今でいう「コンポスト」の役目をこの「肥溜め」が担っていたのです。 

糞尿を熟成し液体化させ、それを肥料として野菜に撒いていた訳です。 

化学肥料も普及し出した頃だとは思いますが、少なくとも我が家では、金を出してまで堆肥を買うという考えがない、そんな時代でした。 

我が家も乳牛を飼っていて、牛糞を父が積み重ねフォークや鍬で撹拌し「堆積」を作っていました。家の隣に牛舎があり、牛舎の続きに体積置場がありましたから、これも相当臭く、集落中の人が臭かったと思うのですが、家畜を飼う家は我が家ばかりではなく、野菜作りのための「肥溜め」は、多くの家にありましたから、近隣からの苦情などは全く無かったのです。それが当たり前の時代でもありました。 

私が幼かった頃は、主食である米も、副菜の野菜も完全リサイクルの自給自足でした。 

時季になると畑には様々な野菜や果物が生りました。 

トマトもきゅうりもナスもりんごも丸かじりが美味いのです。 

私は、トマトは塩で、きゅうりは味噌で食べるのが好きでした。 

なすはヘタをつけたままの丸々1個を手で揉んで、ヘタを切り落とし、その切り口に箸で穴を空け、そこへ醤油を少し垂らして、もう一度軽く揉んで食べます。ナスの即席醤油漬けの丸かじりです。 

りんごは果実が少し小さめで酸っぱい「紅玉」という品種の丸かじりが好きでした。 

その頃はまだ水道管の布設はなく、全世帯が井戸水か湧水を飲み水にしていました。 

我が家の前庭にも井戸があり、その井戸水を、台所の流しの隅に置いた大きな水甕(みずがめ)に汲み置きして使っていました。 

人や家畜の糞尿を肥料とした野菜を、殆ど洗いもせずに丸かじりしていた時代ですから、蟯虫(ぎょうちゅう)が腸内に棲みこむことも、赤痢が発生することも当然ありました。 

今ならそれこそ大騒ぎされてしまう大問題が、50年前には何でもない当たり前のことだったのです。私が50年前の暮らしを1人、或いは家族単位でやろうとしても、ご近所様からの苦情は必至でしょう。我が家の裏畑に「肥溜め」など作ったものなら、家族だって私が呆けたと思うでしょう。 

ですが、今の産業技術や科学力をもってすれば、糞尿の終末処理を汚物ではなく、臭気のない貴重な有機肥料に変えることは容易なことだと思うのです。 

太陽光や風力を電気に変える。 

涌水や雨水を飲料水に変える。 

糞尿や家庭の生ごみを有機肥料に変える。 

私はこうした変換処理器を、国の責任で企業と開発してもらいたいと思うのです。 



そんな物なら今もあるじゃないか、と言われそうですが…。   ※続きは投稿欄【続・糞尿雑記:青木弘貴】2011.6.23へ

【ツボか?ヘソか?クソか?マコトか?:青木弘貴】2011.6.2

2011/06/01 19:52 に ついついペコ が投稿   [ 2011/06/01 19:55 に更新しました ]

【ツボか?ヘソか?クソか?マコトか?:青木弘貴】2011.6.2

 確か筒井康隆氏の短編小説で読んだのだと思うが…、昔の大工が建てた日本家屋は、取壊す時のことまで考えて造られていて、家の何処かの片隅に必ずあるという、大工の棟梁が仕組んだそのツボだかヘソを引っこ抜くと、建材を少しも痛めることなく、家は一瞬のうちに崩れ落ちるのだそうです。その技術がなければ大工の棟梁にはなれなかったようなのです。昔は家の取り壊しは全て人力でしたから余計に、そんなことが考えられたとも言えますし、建材も傷がなければ再利用も出来たのでしょう。

 もっとも筒井康隆氏の小説のことだから…、確か筒井康隆氏のだと記憶しているが、それを読んだのはもう30年以上も前のことで、もしかしたら星新一氏の小説だったのかも知れない。記憶というのはとても曖昧なもので、曖昧だからこそ記録に残すのだが、読んだ本の記録を残す必要など、自分は考えたことも無い。小説であれ、指導書であれ、本は、本そのものが記録の集積なのだ。感想文や集約文なら兎も角、本を読んでその内容をわざわざ別の手帳にそっくり書き写すバカはいないだろう。読んだ小説の内容を原稿用紙に記録し、公募でもしようものなら、直ぐに盗作と言われてしまうだろうから。

 あれっ、随分と本題から滑ってしまった…。

 やはり筒井康隆氏の短編小説だったことにして話を進めると、昔の大工が本当にそんなツボだかヘソだかを仕組んでいたのかは、作者が筒井康隆氏ということも加えると、

いささか疑問ではあるのですが…。 

今の建造物はというと、とてもそんなツボやヘソが仕組んである筈はなく、壊すにも

パワーショベルやバックフォーなど重機が瞬く間に取壊してくれて、再利用する材など一切残りません。残骸となった家の処理は、ショベルカーとダンプトラックが活躍し、あっという間に平地になってしまいます。残骸が何処へ行くのかなんて知りません。

金さえ出せば業者が全てを処理してくれるのです。

昔のモノは使い回し、今のモノは取壊し。

使い回された物よりも新品の方が人は嬉しいのでしょうが、それではムダが大き過ぎます。何でもリサイクルの意識が環境のエコロジーに繋がるのだと私は思います。

 園芸店には牛糞、豚糞、鶏糞など動物のクソが販売されていますが、大工の棟梁がツボだかヘソを仕掛けていた時代には、人間の糞尿も野菜の肥ヤシとして貴重なものでした。それが今はどうですか。私が排出した貴重な糞尿は、汚物という軽蔑にも似た名で処理され、処分する料金まで請求されます。私が生み出した大切かつ貴重なオクソ、オシッコ様を、汚い物にしてしまったのは一体誰ですか。

 人が排泄する糞尿は汚物にしておいて、牛や豚や鶏の糞尿は売価の対象になるって、可笑しいことだと思いませんか。私のオクソ、オシッコを、どなたか大枚を支払って買いたいという人はいないものでしょうか。あぁっ、オレも江戸時代に戻りたい、JIN。

【大災害:青木弘貴】2011.6.2

2011/06/01 9:08 に ついついペコ が投稿   [ 2011/06/01 9:13 に更新しました ]

 2011年3月11日の地震から津波、原発の被災被害地の復旧は、放射能汚染の除去まで考えると今後半世紀以上もかかるだろう。

半世紀を経ても除染は無理かも知れないが…。 

この先50年…とてつもなく長い年月だ。

当然のことながら、50年後まで私は生きてはいない。

もう60年近くも生きてきたが…かつてない今回のこの試練は一体何なのだ。

 石原慎太郎東京都知事が被災後の3月14日に発言したという「米国のアイデンティティーは自由。仏蘭西は自由と博愛と平等。日本人にはそんなものはない。日本人のアイデンティティーは我欲、物欲、金銭欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う。」…これが真実だろうか。

旧約聖書の人間の終焉間近の世界を、知事はこの震災で察知したのだろうか。

そしてこの様な試練は、これからも頻繁に続くのだろうか。

 日本は1945年8月に原子爆弾を2度も投下され、放射能の怖さを充分知っている国民のはずだ。60数年という年月は未来に向かえばとてつもなく長い年月だが、過去を振り返ればあっという間の年月でもある。

辿ってきた年月を、身近に感じずに生きてきた人間の愚かさが、今の東京電力福島原子力発電所の第3次被害を造り出してしまったとは言えないだろうか。

政府干渉の中部電力浜岡原子力発電所の2ヶ年(政府はどこやらの地震研究者に耳打ちされ、2年以内という結論を出したのだろうか。)の限定停止には、一体どんな意味があるのだろう。東海沖地震が近未来に東北東日本と同様の規模で発生したら、浜岡の原子炉を停止していても、何の意味もなさないのではないのか。

冷却停止の期間中も稼動していた時と同じ3,000人の従業者は減らせないということを聞いた。それは人間の手で作った原子炉を、人間の手で無にすることはもはや不可能ということではないのだろうか。

福島の原子炉の現状を見ても少しも放射能漏れが終息するようには思えないし、現実を直視すれば確実に放射能汚染は拡大している。

斑目春樹原子力安全委員長の意見で、55分間の冷却停止が云々と、今頃になって問題にしている政治家は、与党も野党も責任を転嫁するだけで牽引力は全く見られない。

管政権の不信任を言い出す前に、国家の一大事のこの時、何故、野党は歩み寄らないのだ。何故、協力して問題を解決しようとはしないのだ。政権争いなどしている場合か。

今一番の重要課題は何なのかを、政治家は判っていないのだ。

国策民営だという電力会社に、国費をどれ程費やさなければならないのか、国民の持ち家の全ての屋根に、国の予算でソーラーパネルを着ければ、これ程までに原子力発電に頼ることもなかったろうに。

企業にはありったけの国家予算を投入するのに、個人からは取り上げるだけ。

今、被災地への義援金が多くの国民の善意で集まっているが、募金する国民もこれからは少々気をつけた方が良いだろう。災害復旧の名の下に、公共料金の値上げや税率引き上げ等、かつてない金銭的な負担が発生するのだから…。

地震、津波、原子炉破砕の大災害の後は、被害に遭わなかった家庭にも平等に、経済危機という第4次大災害がやってくるのだと思う。多くの人たちが、善意で募金をした筈の義援金が、後々の後悔とならないように、健全な政治の舵取りを願うばかりだ。

願い・・・

2011/04/21 5:35 に ついついペコ が投稿

 巨大地震で被害を受けられた全ての皆様に、お悔み、お見舞いを申し上げます。 

【願い…】

 きっと神様っているよね、ずっと未来って続くよね。 
 ね、ね、ね、私たちの子供らのために。
 生きとし生けるもの、だれしも幸せ望み、安らかな営みを願う。
 肌の色が違い話す言葉が違い、生きるステージが違う。
 同じ空を眺め、同じ夜を過ごす、いつか分かり合えると思いたい。 
 きっと分かり合えると信じたい。 
 こころのわがまま抑えて、譲り合う努力重ねれば、明日は必ず訪れる。
 きっと神様っているよね、ずっと未来って続くよね。 
 ね、ね、ね、私たちの子供らのために。 
 生きとし生けるものだれしも幸せ望み、安らかな営みを願う。 
 髪の色が違い、体つきが違い、辿る道が違う。                      
 同じ光を受け、同じ空気吸って、いつか分かり合えると思いたい。 
 きっと分かり合えると信じたい。               
 こころのわがまま抑えて、分かち合う努力重ねれば、明日は必ず訪れる。                  
 幸せを望み、安らかなこと願い、未来を祈る。 
 同じ船に乗った 世代を超えた絆いつか分かり合えると思いたい。 
 きっと分かり合えると信じたい。                 
 こころのわがまま抑えて、認め合う努力重ねれば、明日は必ず訪れる。   


                       (たいむ★すいっち「願い…」より) 




 カンタ…幼い頃の爺は、確かに空想の世界に暮らしていた。 
 爺が生きいているこの世界は真実のものではなく、爺が勝手に創造しているだけのもので、実際には地球も星も人間も動物も植物も、何もかも現実には存在していないのだろうと…。 
 何もない無の暗闇のなかで、爺が一人よがりに想像した夢の産物、それがこの世界だと…。 
 それは爺が、ナガサキとヒロシマに原爆が投下された7年後に生まれた、ということも影響していたのかも知れない。 
 もの心ついてからずっと、終戦記念日の昭和天皇の玉音放送を聞かされ、原爆投下時の俯瞰映像のきのこ雲やらを見せられてきた。 
 その現実は、幼い爺には刺激が強過ぎたのだと思う。 
 自分が生まれる前の戦争という現実を、爺は受け入れたくはなかった。 
 空想の世界だからこそ、戦争もあり飢餓もあり、気象や地盤の変動が起こるのだ。 
 爺の空想の世界であればどのような不幸であっても、リセットは叶う。 
 爺自身の思考を少し切り替えればそれで解決する。 
 幼い頃、確かに爺は空想の世界に暮らしていた。 

 現実社会がこんなにも恐ろしいと感じるようになったのは何時からだろう。 
 最近の国内外のテロ行為や、自然災害は数え上げたらキリがない程多発している。 
 NZのクライストチャーチの地震が冷めやらぬ内の日本での巨大地震と大津波。 
 東京電力福島原子力発電所の破砕。 
 昔のように、これは爺の空想の世界なのだと想い込みたい心境ではあるが、厳しすぎるこの現実を爺も直視しないわけにはいかない。 
 原子力に頼らない、地下資源に頼らない、化学製品に頼らない暮らしを、空想ではなく現実として考えなければならない時に来ているのだ。 
 カンタたちに残さなければならない地球は、今この瞬間にしか救うことのできない瀕死の状態になってしまった。 
 カンタたち孫や未来の子どもらのために、微力な爺は一体何をしてやることができるのだろう。爺の下らぬ空想で、今の現実を簡単にリセットすることが出来れば良いのだが…。

【デゴイチ(D51型蒸気機関車):青木弘貴】2011.2.22

2011/02/21 18:07 に ついついペコ が投稿

 「トイ・ストーリー」から始まったカンタのDVD好きは、数週間の内に「トイ・ストーリー」から「機関車トーマス」へと移り「トイ・ストーリー」には興味がなくなってしまったようだ。その都度DVDを買ってやっていたのでは、爺の僅かな小遣いが持たない。

最近はカンタをDVDのレンタルショプへ連れて行き、好きなDVDを選ばせるようにしている。カンタは今、もの凄い勢いで視界に映る全てのものを、小さな身体の中に精一杯取り込んでいるのだ。いじけた過去の感傷を引きずり続ける老いた大人の思いなど、幼い子どもには迷惑なことなのだろう。

ゴードン、パーシー、ヘンリー、スペンサー・・・形は・・、色は・・、これだよ。ハロルドはヘリコプターだよ、爺。

ヒロ(伝説の英雄)は、日本からソドー(トーマスたちが暮らす島)に来たんだよ。

「ヒロ?!弘は爺だよ。ヒロジー。」

「違うよぅ。ヒロはこの黒い機関車のことだよぅ。」

「えー、爺もヒロって云うんだけどなぁ・・・ヒロタカって・・・。」

「爺の名前は、ノブオだよぅ。」

カンタが言ったノブオとは、長野の爺の名だった・・・。

ショック。僅かばかりの時間を一緒に過ごしても、塩尻の爺は、カンタからは認知されない爺なのかも知れない。どんなに爺が愛情を込めてカンタと接しても、カンタにとって塩尻の爺と婆は、「外」の爺と婆なのだ。カンタの「内」の爺と婆は、長野の爺と婆なのだ。そんなことは長女を嫁がせた時から判っていたこと・・・。それでも爺は、カンタの言葉にショックを受けた。

もう暫くすれば、カンタ達は又長野へ帰ってしまう。

そうだ。カンタに本物のD51を爺が見せに連れて行ってやろう。・・・そのD51は爺の勤務先の前庭にあった。カンタはおぼつかない足取りで機関車を回り、「爺、ヒロは大っきいね~。」と感嘆の声をあげた。そうさ、ヒロは大っきいのだ。

カンタがD51を塩尻の爺と2人だけで見に来たことを、何時まで憶えていてくれるのかは分からない。それでも爺は、塩尻の爺は、カンタと2人だけでD51を見たこの日のことを、一生涯忘れない。

童心を忘れずに生きることの難しさを、爺は60年近く生きてきて、十分に肌で感じている。

カンタの生きる時代は、爺には創造も出来ないことだが、カンタが爺と見たこの日のD51のことを忘れなければ、カンタの生きる時代もきっと最良の時代になるのだろうと、爺は想うのだ・・・。

カンタ達が帰ってしまっても、カンタ達は何時も爺の懐の中で暮しているのだ。

【少年の心:青木弘貴】2011.1.11

2011/01/11 7:18 に ついついペコ が投稿   [ 2011/01/11 7:27 に更新しました ]

【少年の心:青木弘貴2011.1.11     58歳、男性、長野県塩尻市

平成23年が明け1月2日の午後に、長野へ嫁いだ長女夫妻が孫2人を抱いて塩尻の我が家へ里帰りした。昨年末の12月21日に生まれた孫娘のリオ(梨央)は、観音菩薩のようなキリリとした顔をしてスヤスヤと寝入っている。
 
何ヶ月振りの里帰りだろう。「カンタ、2才になったんだよ。」孫のカンタは随分成長し、行動と言葉の達者さに驚かされる。

長野のアパート暮らしでは、妊娠中のママの自由も利かず、ずっと室内で過ごしていたのだろう。
夏場に我が家の庭で過ごした時の遊びを、カンタはすぐに想いだしたようだ。
子どもの知恵は、60近い爺の想像を遥かに超えた速度で発達している。
 
カンタはクリスマスにパパとママからプレゼントされた品物を、小さな赤いリュックサックに詰めて、大事そうに抱えていた。
 
それは、ウォルトディズニーの映画「トイ・ストーリー3」のDVDだった。
 
リオの出産から元日まで、カンタは長野のご実家で面倒を見てもらっていたが、そこにはDVDの再生機器がなく、未だDVDの封も解かれていなかった。「じぃじ!トイ・ストーリーを見せてよう。」カンタはDVDを私に差し出し、そう言った。
 
テレビは丁度、大学駅伝の往路5区の中継が映し出されていたのだが…。
カンタにせがまれるとどうも爺は弱い。まあ、往路2区の東海大2年村沢明伸選手の17人抜きは見させてもらったから、カンタにテレビ画面を譲ってやることにするか。
 
カンタが生まれるよりずっと前、爺は若い頃に漫画家を目指していたことがあった。
あの頃は、少年漫画を手当たり次第に読み漁っていた。
読んだ漫画はどれもこれも「勧善懲悪」、最後は主人公が悪玉を倒すという類の筋立てだった。
 
爺は何時から漫画を読まなくなったのだろう。
何故「勧善懲悪」は絵空事だと思うようになったのだろう。
目に見える現実だけが真実と思うようになったのは何時からだろう。
人と話せるライオンや空を自由に飛ぶロボットを、どうして空想と思うようになったのだろう。
 
カンタを爺の膝に乗せ、2人で一緒に「トイ・ストーリー3」を見ているうちに、玩具が主人公のこの物語に、カンタよりも爺の方がすっかりのめり込んでいた。
 
今カンタが大切にしている沢山の玩具も、きっとカンタと一緒に遊んだことを忘れないね…。思わずカンタにそんなことを呟いていた。
 
カンタ、玩具をプレゼントしてくれたカンタの周りの大勢の人たちのこと、忘れずにずっと大切にしてくれよ。
カンタが成長して着られなくなった小さな服や靴でさえ、パパもママも爺も婆も、とても愛おしいのだ。「トイ・ストーリー3」をカンタと見ながら、爺は何だか遠い昔の少年の頃の心を甦らせていた。
 
「カンタ、トイ・ストーリー1と2のDVDも、爺が買ってやるぞ。」そして、爺はカンタと一緒に「トイ・ストーリー」を見続けていくよ。

爺自身が「少年の心」を忘れてしまわないために…。

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